浅田真央、平昌入りすらしていない理由とは?

NEWS ポストセブンによると。

 平昌五輪の開会式ではキム・ヨナ(27才)がシークレットの聖火最終ランナーとして登場して大盛り上がり。荒川静香(36才)や織田信成(30才)もテレビ局のキャスターとして引っ張りだこのフィギュア界だが、あれ? 真央ちゃんはどこに…。
 2017年4月に競技選手を引退した浅田真央(27才)。「女子フィギュアを中継するNHKとテレビ朝日のどちらかの解説にサプライズ登場するのでは」という噂も流れたが、本人は平昌入りすらしていないようだ。
 屈指の人気者だけに当然、テレビ各局は平昌五輪でも浅田にオファー合戦を繰り広げていた。
「頭一つ出ていたのはフジテレビ。姉の浅田舞さん(29才)が東海テレビでキャスターをするのも、将来的に真央ちゃんを系列のフジで起用したかったから。でも真央ちゃんは今回は解説者やキャスターへの転身を断った。“織田くんのようにわかりやすい解説ができないから”が理由だといわれています。
 でも、フィギュア界の解説者争いはし烈で、明るく喋り上手な村上佳菜子さん(23才)や冷静で明快な荒川さんなどタレントが豊富。引退直後で、真央ちゃんに注目が集まっているうちに、転身をアピールするには絶好の機会でしたが、惜しいことをしました。マネジメント会社の意向もあるでしょうが、人気には“賞味期限”もあるし、時間を置けばキャスターとしてのハードルも上がる。テレビ局としては真央ちゃんにオファーしにくくなったというか…」(テレビ局関係者)
 もう1人話題の元選手といえば安藤美姫(30才)。2月11日に行われたトークイベントでは、破局説が流れ、平昌五輪にも出場するハビエル・フェルナンデス(26才)との仲を聞かれて「しつこい!」とおかんむりだった。
「以前、番組で演技の解説をしたんですが、“ココッ、ココッ、コレー!”と感覚的に叫ぶだけ。本人も“解説が上手じゃないから、仕事が来ない”と嘆いていました。もともと天才肌のスケーターだからしょうがない(笑い)」(前出・テレビ局関係者)
 イベント終了後、娘や関係者とともにファミレスで食事を楽しんだ安藤。五輪の喧騒も彼女には関係ないようだ

浅田真央振り付け 姉・舞さんが初披露 助言は「楽しんで滑ってきてね」

デイリースポーツ によると。

 フィギュアスケートのアイスショー、クリスマス・オン・アイスが15日、新横浜スケートセンターで開幕し、バンクーバー五輪銅メダリストの高橋大輔さん(31)、織田信成さん(30)、村上佳菜子さん(23)、鈴木明子さん(32)ら五輪経験者が華麗な滑りを披露した。

 浅田舞さん(29)は、妹の真央さんが初めて振り付けた「All I Want for Christmas」を初披露。ステッキも使い、きらびやかな衣装でキュートに舞い、観衆を魅了した。

 真央さんからは細かい指導があったそうで「小道具や衣装も相談しながらやりました。結構細かくて、元気でハッピーな曲をやったことがなかったので、テンポについていけなくて…。あまりに出来なさすぎて姉妹で笑い合った」と笑いつつ、「妹からは『楽しんで滑ってきてね』って言われてきたので、楽しんで滑ることができた。公演も見に来るみたいなので、それまでに100パーセント以上のものができたら」と、笑顔で意気込んだ。

真央、届かなかった五輪金メダル…涙の挑戦物語

日刊スポーツ によると。

10年2月、バンクーバー五輪で銀メダルを見つめる浅田(左)。右は優勝した金妍児(キム・ヨナ)
<五輪金メダリスト・下>

 大会前の下馬評通り、10年バンクーバー五輪は日韓の「国民的ヒロイン」によるマッチレースに沸いた。浅田真央(当時19)はショートプログラム(SP)で1度、フリーで2度、1大会に計3度のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を成功させ、後にギネス世界記録に認定される女子史上初の快挙を達成。06年トリノ大会金メダルの荒川静香に続き、日本女子では2大会連続五輪表彰台となる銀メダルを獲得した。

【写真】3歳の時の浅田真央。越智久美子バレエアカデミーにて

 だがフリーの演技後、悔し涙を流した。報道陣から「価値ある銀メダルでは」と聞かれると、約30秒間も沈黙した。絞り出すように「悔しいです」と話すと涙が止まらなくなった。自己最高の総合205・50点をマークしたが、演技後半の3回転ジャンプのミスなどを悔やんだ。

 その浅田を上回ったのが同い年の金妍児(韓国)。映画「007」の音楽に乗り、SPで首位に立って先行逃げ切りという必勝パターンが五輪でも決まった。最後に両手で拳銃を撃つようなポーズは日本でも話題になった。合計でそれまでの記録を18・53点と大幅に上回る、228・56点の世界歴代最高得点。14歳で初対決した04年12月のジュニアGPファイナルでは、優勝した浅田が2位の金に35・08点と大差をつけた。負けず嫌いの金は、この時の写真をあえてずっと自室の机に飾り、モチベーションに変えて成長を続けた。

 「五輪前年の7月1日までに15歳」という国際スケート連盟の規定により、9月25日生まれの浅田は年齢制限に86日足りず、トリノ五輪出場はならなかった。だが当時から「天才少女」と呼ばれ、同五輪前のフランス杯では、後に金メダリストとなる荒川を破って優勝。「4年後の金メダリスト」の呼び声は高く、バンクーバー大会は満を持して迎える五輪のはずだった。

 だが同五輪シーズンに入り、競技人生初のスランプに陥った。代名詞のトリプルアクセルは失敗の連続。特にSPでは五輪で成功するまで4大会で挑戦し、すべて失敗していた。上位6人によるGPファイナル出場も逃した。五輪出場権のかかる全日本選手権を間近に控えた09年12月上旬には、練習場更衣室で姉の舞に「もう跳べない」と、涙を流して感情を爆発させたこともあった。何度も泣いたが、その度に強くなっていった。

 夢見た初の五輪でも再び涙があふれた。だが「予想していたよりもすごく、悔しさの方がある。この舞台にもう1度帰ってきたい」と、雪辱を誓っていた。

 結局、五輪金メダルの夢は、4年後もかなわなかった。むしろバンクーバー大会が五輪で最高の結果となった。年齢制限に阻まれ、亡き母匡子さんとの別れ、五輪金メダルと縁がなく引退-。悲劇のヒロインの要素がそろうが、ずっと国民的ヒロインのまま。「五輪で金メダルを取りたい」。幼少から変わらない夢を追う純粋な姿が、銀メダルを金メダル以上に輝いて見せるのだろう。